昨今話題の弱者男性になってしまった今の想い
久しぶりの投稿になります。
かますです。何とか生きております。
私は人間関係の構築に非常に悩みながら生きてきました。今もそうです。大病を患った後、職を転々とし、彼女と呼べるような人にも巡り合うこともなく今に至ります。
正直、大病を患ってからは人間関係の構築を苦手とする私にとって女性と交際するという事は考ええたくありませんでした。趣味も充実してたので尚更。
ただ、現実は非情なものでした。周りの友人たちは次々と結婚し、家庭を持ち始め、私に残されたものは
"孤独"
の二文字。
仕事はしているが、出会いがない。あったとしても私に人間的魅力が無い。そんなある日、街コン等の出会いの場を作る仕事に携わる女性の方に
婚活をしている旨を伝え、何か出会いの場があれば参加をしたい旨を伝えたところ、辛辣な回答が返ってきた。
「その年齢で経済力も特別なものは無い、身長も低い上にルックスがとても悪い。話をしてもどこか自信がない。正直言ってあなたを好きになる女性は間違いなくいません。でもあなたには立派な趣味がある。今の時代は結婚が全てではないから」
要するに私はもう結婚できないそうです。
正直、闘病後に何度か合コンなどに参加しました。どの女性からも経済力、容姿、コミュニケーション能力についてどれも辛辣な意見を貰いました。マッチングアプリに関しては、友人知人からプロフィール写真の撮影、自己紹介文の添削をやってもらったのにも関わらず全滅でした。
しかし、どの方面に努力をすれば良いかわからないまま結婚適齢期を過ぎそうな歳を迎えてしまいました。そして、結婚を諦めざるを得ない状況になってしまいました。
私の婚活において私の最大の失敗は
結婚について考える時期が遅かった
これに尽きるかと思います。
昨今は結婚しない人が増えていますが、結婚をしない事で被るデメリットは非常に大きいです。孤独による精神的なストレス、社会的信用の得にくさなどなど。
正直、女性は男性を選べるが特筆した能力がない男性にとっては女性と関わることすらできません。
社会が悪いとは思いません。ただ、能力が乏しい人間として生まれ育ってきてしまったと言う不運に尽きるかと思います。
結婚して幸せになる人がいる反面、どうしても結婚ができない人がいると言う現実があります。
最近、冤罪をかけられそうになりました。私は普通に仕事をしていただけです。そこに居合わせた女性から私が不審な動きをしているから盗撮をしているのではないかと言われたのです。
それ以来私は女性を見るのが怖くなりました。
でもこれは社会全体にとっては良いことかもしれません。
女性からしたら私みたいな弱者男性はゴミ同然です。
そして弱者男性にとっては人権とは名ばかりです。弱者男性に人権なんてありません。某女性ゲーマーが一時炎上してましたが、あの方は現実を言っているだけなのです。
名ばかりの人権を盾に生きていく未来を私はどうしても悲観してしまう。
以上
会社を辞め、YouTubeとブログを主にして生計を立てた結果
どうも。かますでございます。
久々の投稿になります、、、。
以前勤めていた営業会社を辞めてから約1年が経ちました。
あれから色々なことがありました。
度重なるパワハラにより鬱病を発症し会社を退職。そして無職へ。
題名にもあります通り、YouTubeとブログで生活をしていこうと思い日々更新をするものの一行に閲覧者数は伸びず、生活も苦しかったため結局短期のアルバイトを始めました。
1ヶ月ほどの期間でしたので期間が終わればまた無職に。相変わらずYouTubeやブログは伸びなかったため、焦ってまた就職活動へ。
過去に急性骨髄性白血病を患っていたため、正社員としてなかなか雇ってもらえず、泣く泣く人材不足のブラック企業へ正社員として入社。
営業会社より多少はマシになりましたが、パワハラの毎日。真面目な働きぶりが評価されたのかどうかは謎ですが、役職がつき給料も上がりましたが、最終的にはそれが原因のイジメにより退職。
またまた転職活動をするものの、短期離職をし、特筆したスキルも経験もない僕を高待遇で雇ってくれるような会社はありませんでした。
リクルートやDODAのエージェントにも相手にされずindeedやハローワークで求人を探し、給料と休日を妥協してなんとか正社員として仕事に就くことができ今に至ります。
ここで皆さんにお伝えしたい事は、転職は何も考えずに安易にするものではありません。
今の環境が嫌で嫌で仕方がない。そんな気持ちありませんか?
今の日本では転職すると、ほとんどの場合給料が下がります。評価されて役職がついて給料が上がると思いきや、それ相応ましてやそれ以上の責任とストレスが伴います。
自分が評価されているということを忘れるぐらいキツいです‥。
正直、僕のように能力がない人間は平社員で居座り、長く続けるかが重要です。
そして、特に何かやりたい事が無ければお金を貯めるか、積立nisaなどを初めましょう。
お金があると心に物凄い余裕ができます。
今の日本では会社で評価されてもされなくても生活はそんなに変わりません。むしろ仕事が増え、それに見合わない給料である事が殆どです。
田舎でのスローライフについて思う事
久しぶりでございます。
昨今、田舎でスローライフという言葉を耳にする事が多くある。
実際私の周りにそのような気持ちで都会から移住してきた方々も多くいる。
そして私が思うのは、その内の大半が「以前の生活に戻りたい」「以前のような給料で働きたい」などと言う旨の発言をするのである。
都会は厳しく、田舎は甘い。
そんな気持ちで働きに来たのでしょうか。もしそうであれば大きな間違いだ。
都会の生活に疲れて田舎へ、、、と考えている人へ伝えたい。
もう一度考えて見てほしい。
田舎へ行けば人間関係がもっと深くなる。
噂はすぐに広まる。
一つの過ちで、味方だと思っていた人が一気に敵へと変わる。
都会には都会の良い所、悪い所がある。
田舎には田舎の良い所、悪い所がある。
都会は厳しく田舎は楽だと言う考えは捨てるべきであると私は考えている。
絶望
とても疲れたのでいまの思いをただただ書く。
今まで、人を傷つけたり悲しませてしまった経験はある。
自覚はしている。
でも、やっぱり思う。
「僕は幸せになってはいけないのでしょうか?」
なんでこんなに嫌な事ばかり起きてしまうのか。
何もかも上手くいかない。
腐り切った部署。それを良いチームと称える上司。
俺は何を今までやってきたのだろうか。今までの5年間、何してきたんだろうか。
今、自分たちのやっている事は何の意味があるのだろうか。
上司さん、僕は敗戦処理要員ですか?
要らないならはっきり言ってくださいよ。
喜んで辞めますから。
結局世の中、側を取り繕って上手く自分を見せる奴が出世するんだよ。
5年間見てきて思った。
お前が1番信用できる!と言われたこともある。しかし実際、自分の右腕左腕に添えるのはゴマをすって側だけ取り繕うのが上手い奴だ。
最近、自らが営業案件を取ってきましたか?
上司から課された訪問件数、電話件数をしっかりとクリアしてますか?
電話件数も訪問件数もそして、獲得案件も無いんじゃないですか?
それでよく右腕左腕が務まりますね。
口だけは達者な奴ばかりよく集めたものですなぁ‥全くお笑いだ。
まあ、世の中そうなんだろうけれども。
そんな腐りきったゴミ部署。
とある一言が僕がもうこの部署から1秒でも離れたいと思うようになった。
とあるセミナーを企画していた。その準備をしている時、上司の右腕候補が‥
「俺、セミナーの責任取りたくないから客集め全くしていないんだよねー」
確かに今客集めはとても苦戦している。しかし、冗談でもセミナーの準備をしている時に言う言葉なのか。
確かに面倒なことだ。でも嫌なことしているからお金をもらっているのではないのか?
好きなことだけで仕事したければ1人でやればいい。
上司がいない時のセミナー準備の打ち合わせは最悪だった。
本題を忘れて皆各自やりたい放題。ソシャゲを開いたり関係ない無駄話をひたすら続ける
などなど。
なんだこの空間は。学生じゃないんだぞ。
社会人という自覚を持っているのかこいつらは。
そんな奴らが自分の上に立つのは正直、考えるだけでも苦痛だ。
みんなで楽しく仲良くやってて下さい。
上手くいこうがいかまいが、僕にはもう関係ありません。
なんだったんだろうこの5年間。
返ってくるのであれば返して欲しいです。
上司さんに何度も辞めると言った。しかし、この上ない脅しをかけて引き止めさせ、このザマだ。
何がしたかったんだろう。
まぁ、擁護するなら人間誰でも失敗はする。僕はその失敗例だと思って、二度と僕のような人を出さないで欲しい
と思ったこともあった。
今はもう思わない。絶望している。
悪いけど、この部署に何故か憧れを抱いて入ってくる新人が来年3人入社する。
僕のような気持ちにならないように。
ほんとに。
何を言ったかではなく「誰が言ったか」
なぜ、何を言ったかではなく「誰が言ったかが重要になる」のだろうか?
社会人5年目になる僕の最近は、このことについてばかり考えてしまうときがある。
わかりやすく言い換えれば「この人が○○と言うからそれは正しい、こんな奴が△△と言うから信用できない」ということだ。
なぜこんなことを考えるようになったかというと、それはある食事会に参加していた僕よりも社歴は短いが、歳は上の方の言葉だ。
その人は食事会の席で、ひたすら僕に対して 「結果を出すためには○○しなければならなくて…××だからお前はダメなんだよ…」とばかり言ってきたのである。
社歴の短さや結果の有無に関係なく、会社の上層部から日々の頑張りを見て期待されているというところだけで比較して、僕に対してマウントを取ってくる。
だが、その人は実際に結果を出しておらず、「俺は会社から期待されているかもしれない」という根拠のない自負があるだけだ。
なぜかどうも釈然としない。
その人から感じる違和感は何か?
その理由はすぐにわかった。
「結果」を出していない人間が何と言おうと響かないということだ。
つまりこうだ。日本の義務教育では、結果よりも結果を出すために頑張った過程を重視する場合がある。
だから、「惜しい」「あと一歩だったね」と結果が出ていなくても、「でも頑張ったね!」と評価される。
しかし、今の僕は義務教育に守られているのではなく、会社という組織の中で闘っている人間だ。当然、結果が出なれば評価はされない。
たちまち無能というレッテルを貼られる。
頑張ったのに結果が出なかったけれども、頑張ったことを評価されて満足してきた人間は、「結果」を重視される社会人になると、挫折や自分の無能さをしって非常に辛い思いをすることだろう。
実際に僕もそういう経験をした一人だ。 もちろん、結果を出すためには努力が必要だと思う。
そして、結果が出るまでやり続けなければならず、結果が出てから満足すればよいはずだ。
頑張ったことだけに満足していては、結果が追いついてこない。
だからこそ、結果が出て初めて努力が無駄ではないと言える。
努力を無駄にしないためにも、結果にこだわり続ける意識を持つことが重要だ。
結果を出してこそ、周囲からの評価が変わり認められるようになり、結果として自分の意見も通りやすくなるのではないだろうか。
結果を出していない人間の仕事論を聞くほど、虚しいものはない。
しかし、仕事論を説く本人がその事実に気づくことはない。
自分の仕事論を語りたいのであれば、それなりの結果を出してからでないと、相手に響かないだろう。
どれだけ他人からの評価が良くて、人生経験でマウントを取ろうとしても、その人の結果がないと何も響かない。
結果を出した人間とそうでない人間を比べたとき、同じ言葉でも相手への響き方が変わってくる。
自分の言葉が皆に響かない…と思っている方々。
まずは他を圧倒する結果を出す努力を続けててみてはいかがだろうか。
と思うのであった。
kamasu
イキりオタクの末路
自分には誇れるものがない。
とある日曜日の夜、特にやる事もなくとある動画サイトで様々な動画を見て楽しんでいた。いくつの動画を鑑賞し、ひと段落したところで感じた虚無感。
その虚無感が
"自分には誇れるものがない"
という気持ちを生んだのだろう。
誇れるものを考えるも、驚く事に何も出てこない。26年間生きてきて私は何をしてきたのかと思いながら、眠りについた。
時期は冬。朝と夜は一段と冷える。寝起きが辛い。暖かい布団の中で好きなだけ寝ていたいという気持ちを押し殺し、起き上がりスマートフォンを手に取りLINEの通知を確認する。
するとそこには
「スノボいこう!」
という友人の誘いが来ていた。
私はすかさず「これだ!」
と思った。
なぜ?と思うかもしれない。
私のようなオタク系陰キャでスノボができる人はそうそういないと思ったからである。(実際結構いて私よりも上手い方なんてザラにいる)
即答で行く返事をした。
大学生の頃はスキー場へ行ってはスノボ初心者の陽キャの姿を見て優越感に浸るという非常に性格の悪いことをしていた。
人間、性格はすぐに変わらない。
その優越感とスノボをすることで他のオタクとは違う感を出したいという、どうしようもないイキリ感情が私の心の中で渦巻いていた。
スノボを楽しみたい気持ちも少しあったが、結局優越感に浸りたい、イキりたいという目的でゲレンデへ。
スキー場へ行くとたくさんの初心者の姿が。それを横目にスノボができる自分に酔いしれていた。
自分より上手い人が多い上級者コースへは基本的にいかず、初心者コースをあえて行く。そんな事を繰り返す。
何か自分が変わったような気がしていた。スノボという取り柄があると勝手に思っていた。
そんな有頂天な気持ちのまま上級者が多いゲレンデへ。
そこは別世界であった。
周りは自分とは比べ物にならないぐらい上手い人が多い。
中には小中学生もいた。
有頂天な気分は一瞬にして奈落の底へ。
沈んだ気分でスノボをやる元気が無くなった。リフト1日乗り放題券を買っていたが、1時間も経たずして帰路についた。
家に帰り、ぼーっと2時間。
心が痛むほどの虚無感。
何も考えられず、ただただ自分自身が嫌で仕方がなかった。
こんなしょうもない事で優越感に浸っても自分には何も残らない。
上には上がいる。それも自分の想像よりもはるかに多く。
しばらくは虚無感に苛まれていたが、次第に前向きな気持ちも生まれてきた。
誇れるものは今あるものではなく、これから新たに見つけていこうと。
優越感に浸ったり、イキったりしても自分には何も残らないという事を身に沁みて感じた出来事であった。